方 針

当店は、日本伝統文化と中国茶文化を取り扱わせて頂いております。
ここで、方針を述べさせて頂きます。

1.中国茶について
日本と中国に「茶文化」という一つの単語で存在する「中国茶」を取り扱うにおいて、自国の茶及び茶文化を知らず或いは実体験無くして、他国の「同一文化」を取り扱うのは、その国の方に失礼であり、上辺だけをみているにすぎない。
「茶」をただの金に変換する「品」を取り扱っているにすぎない。もっと言うと、そうその文化の国の方から、みられても自業自得である。
自国の文化に誇りをもってこそ、他の国の文化について言・見を持つべきであると考える。
両国の茶文化を大切に考えたい。

2.茶の楽しみ方について
茶は、五感ともに味わうものである。「目」で形・色・道具を観て楽しみ、「手」で道具を触り・動作して、その触感と自己意志動作を楽しみ、「口」で味、食感を楽しみ、「鼻」で自分が存在する場の香りを楽しみ、「耳」でその状況にあった「音」を楽しむものである。もっとも良いのが当然その場の設営を風景を含めて、全ての雰囲気を揃えている場所で味わう事である。(日本茶を茶室で味わう事はさておき)中国茶では国内ではそれはかなわない。しかし、可能な限りの設えイマジネーションされるのは提供する側の心得である。
(少なくとも「茶」を唯、小皿少量の菓子と共に味わうだけであれば、自宅で飲んた方が楽しい、はずである)。少なくとも茶は「感」「徳」とともに楽しんで頂きたい。

3.伝統遊戯について
現在「遊戯」は、コンピュータゲーム(ゲーム専用機やPCゲーム)で、そのマルチメディアを駆使した、総合芸術ともいえる形で存在し、これからは更に「体感」と共に進歩していく。
では、すでに死滅した伝統遊戯・わずかながらに存在する伝統遊戯はどうか。
最大の違いは、a.人と人とが同一場所におりコミュニケーションが存在する事、b.(頭は両方に必要であるので説明からはぶく)現在においてのゲームは目・耳・手(指)だけを楽しむのみであり、伝統遊戯は、まだ「体感」というものが数少なく存在する。c.現在ゲームは、ハードとソフトが人工的に作りだしたデジタルであり、伝統遊戯具は自然が(素材ですがが)作りだしたアナログである。
風習・環境・風土がそろぞれの遊戯具が生み育て変化していった(現在ゲームも当然現在の世情・好みを顕著に反映したものである)のであり、伝統遊戯で遊ぶ時に感じる感覚を味わって頂きたい。
そこには、単純に「文化・芸術」を味わうとともに一種の感覚を味わうかと思う。